生きる原点が見えてきた

人間が生きる源は食。
何があっても食べることを欠せない。
幸せでも幸せじゃなくても欠かせない。
生きていくために農作物を育て生き物を狩って役割分担をして回り回って生きる原点を築いている。

狩猟民族、農耕民族と括られ物々交換が成立した時代や文化もあり、宗教的な思考により肉を食べなかったり、個々の理由から様々な人間の思考が生まれ生き物への尊さの捉え方
・解釈が違います。
生き方、人生が違えば考え方も変わります。
たくさんの考え方があって当然だと思います。

時代によっても変化していくけど、食べる行為はいつの時代も変わらない。

昨今は生態系が崩れ農作物を荒らす動物達がどんどん増え続けています。
農作物の被害は農家の皆さんの生計に関わります。本当に頭を抱える悩みです。
それもこれも人間が行ってきた報いです。
狩猟者は減り生態系を維持する事に追いつかない現状。
獣害駆除対象の動物をどう考える。
汗水流して作った農作物が鳥獣に荒らされた人達をどう考える。


狩猟で獲って食する事をどう考える。
屠殺場で殺した豚・牛・鳥をスーパーで買って食べる事をどう考える。
レストランで高級なお肉を食べる事、家族で楽しく焼肉を楽しむ事。
皆自分に合った生きていくための生活をしながら食を楽しんでいます。
殺生がダメなことくらいは正常な人間なら分かっている事。
でも誰かがやらないと回り回らない世の中で、スーパーで手にしたお肉だって誰かが殺生したお肉、スーパーに並んだ野菜や果物はもしかすると猪や鹿、アナグマ、ハクビシンなどの獣害駆除対象の動物から誰かが守ってくれたおかげで美味しく育って売られているのかもしれない。


人間だから各々の考えで食を楽しめばいいと思うし、批判や共感はあっても何が正解なのかはないと思います。

発言する事の責任を野菜しか食べないから動物の殺生に反対と簡単に言える人や
動物愛護の観点から可哀想だから殺生を反対と言える人はとても幸せで平和な人です。
人間が自分達の手で責任を取らないといけない現状から目を背けては根本的な事は分からない。

私は、精神のバランスがちゃんとしていないと狩猟者とは言え殺生は簡単に行える事ではないと今回学びました。
だから誰もができる事ではない事も。
せめて誰かがやらないといけない世の中になっている事を食を通じて少しでも考えてほしいです。



YouTubeチャンネル登録
どうぞ宜しくお願い致します。
↓↓↓

髙竜犬舎

甲斐犬狩猟犬としての原始的な姿を保存する目的の甲斐犬専門犬舎です。

0コメント

  • 1000 / 1000