日本犬が日本で現存してから数千年余りオオカミから考えると約40万年、既に近年の日本犬は馴化として人間が飼いやすく、人間の都合が良く本来の自生心は深く眠りつつあり、規格まで決められ保存活動が行われている。
これは人間が手を加え日本犬の空想からの理想を追っているから本来の狩猟本能のある日本犬は上下関係・信頼関係からなる群れの行動からの学びをしてきた者は優しさと勇ましさを持ち合わせるけどその時間を無視し形を重視してしまうと方向性を間違えてしまう。
私たちが考える日本犬。この時代に生き抜く日本犬は法律や環境から簡単な事じゃなく覚悟がなければできないし、それを後世にどう伝えればいいのか。
四六時中一緒に過ごしてきた家族は物心付くころからその背中を見て育つから案外簡単に理解し素直に聞く耳を持つし、壁にぶつかった時一緒に相談して道を切り開いて行ける。
人に何かを教える時間は自分が生きた証でもあるけど残された時間で何かを遺すのは簡単な事ではないと最近痛感した。
話は横にそれましたが日本犬は大きく考えれば日本の狩猟文化に欠かせないひとつの歴史だから、それを保存して考えを残す必要があると思います。
また次世代で保存繁殖できる環境と責任が揃う人はなかなか出会えないと感じています。
だからと言って情熱だけでは決して成し遂げられない難しさ、ぶつかり合う事も出てきてそれでも進む場所が一緒なら誰かに託す事も必要でそれが何十年後、形として残ったら日本の狩猟文化のひとつに狩猟甲斐犬との一銃一狗が歴史に遺って100年後の後世にも伝わっているかもしれない。と…
私たちの役目なのかもわからず、そんな事を勝手に考え十数年の時が経ち「0」から今までの考えは経験と共に少しずつ修正しながらコンセプトはブレずにやっとここまで辿れつけたけどまだ「100」には届かず、
ここで考える「100」
「100」というものはそもそも存在せず、あるとすれば、自分達の中での達成感なのかもしれない。
(以下主人より)
最近自然と接し感じることがある。
人間も動物であり自然界の一部で然るべき、
生と死を繰り返し、土に還る、
それぞれの動物が他にない特性を持ってこの地球に生まれてくる。
時に思うのは人間は神と獣達の 「使徒」なのだろうか。
今あるこの世界にある全ては自然界と人間と獣が繋いできたバトン。
今の自分達に出来ることは答えのないこの素晴らしき犬と人の生の文化、
奪うこと、頂くこと、感謝の思いを残し伝えていく事。
数多の苦難を乗り越えた者にだけ見えてくる景色を見られる様に
意志を受け継いで貰えるように
そんな何かを遺せる
髙竜犬舎を目指して行きたい。
その大志を抱いてこれからも変わらず
進み続けます。
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